Update:2013.06.24[Mon]Category : SURF

プロサーファー 堀口真平「大きな波の魅力は何ですか?」

 日本のサーファーの多くはビーチブレイクでのサーフィンが日常的でファンサーフと思えるのは、せいぜいオーバーヘッド。

 けれど、ビッグやジャイアントの波を楽しいと感じるサーファーがいる。

 いったいどういう点に楽しさを見出すのか。日本屈指のビッグウェイバー堀口真平にその魅力を聞いた。

インタビュー:小山内隆(BLUER)
ポートレート:石阪大輔(HATOS)

photo by U-SKE@BACKDOOR,HAWAII

旅続きで日本滞在は年に4ヶ月ほど。
波のある場所にいたいと思っています。

小山内:ハワイから帰国したばかりということだけど、日本には1年間でどれくらいいるのかな?

堀口:日本には4ヶ月ほどで、地元には1ヶ月くらいだと思いますね。おかげで実家は倉庫みたいになっています(笑)

小山内:まるで旅人のようだね。それは夢のライフスタイルだったの?

堀口:波のあるところに自分を置きたいとは思っていましたね。地元の和歌山にいても波がずっとあるわけでもない。そう考えると移動することになります。

小山内:1年の始まりはハワイから?

堀口:元旦はほぼ確実にハワイです。冬は数ヶ月ハワイに滞在しますが、昨シーズンは4月12日までとけっこう長くいましたね。

小山内:ハワイ入りは?

堀口:いつもは10月の終わりくらいからでしょうか。ただ去年は新しいポイントを日本海で発見してしまって、しばらくそこでサーフしていました。ミニパイプのような波が味わえるんです。オーストラリアにあるボックスという波に似ていることから丹後ボックスと僕らは呼んでいるんですけど、あれほどチューブに入れるスポットは日本では稀。しかもうねりからリップが巻くまでの早さがすごい短いんです。「あ」っといいながらテイクオフして、「い」という時にはもうチューブのなか。水もキレイでゴハンも美味しい。温泉もありますから、ハマってしまうんです。

小山内:そしてハワイから帰るとインドネシアや南太平洋のシーズン。

堀口:そうですね。新しいシーズンをパプアニューギニアで始めて、インドネシアやタヒチに向かいます。夏のタヒチで僕のスポンサーでもあるビラボンが冠スポンサーをしているASPの試合があって、ウェイティング・リストのトップに入れてもらえることから試合を交えて1ヶ月ほど滞在します。するともう日本は台風の季節。沖縄を狙いつつ、後に本州へ。リーフや河口を当てて、地元のビッグウェイブに乗り、またハワイへ、という感じのサイクルになっています。

僕にとってのサーフィン革命はふたつ、
小学5年と中学1年の時に訪れました。

小山内:そのサイクルはいつから?

堀口:高校を卒業してからなので18歳から。もう12年ですね。

小山内:波の良い場所に自分を置くという生活観を抱いた背景には、お父さん(※注釈/堀口鉉気さん。地元・和歌山、ハワイ・オアフ島のワイメアで現在もチャージする日本を代表するビッグウェイバー)からの影響があるのかな。

堀口:そうですね、今も「若いうちに波乗っとけ」といわれますからね。ただ、サーフィン以外にも僕にはやりたいコトが一杯あるんです。こうして都内で人に会うことにも刺激を感じるんですが、親父は「できる時にできるだけ良い波に乗っていた方がいいぞ」と。

小山内:良い波のなかにはビッグウェイブも含まれるよね。大きな波の魅力というのは、どういうところなのかな。

堀口:簡単にいえば、尋常じゃないほどのアドレナリンに包まれること、ですね。

小山内:いつハマったのか覚えてる?

堀口:サーフィンに関する僕にとっての革命はふたつあるんです。ひとつは小学5年生の時、地元の河口でチューブに入ったこと。もうひとつは中学1年の時、ハワイのサンセットで8フィートクラスの波に乗ったこと、です。もうどちらの時も「うぉー、なんだこれ〜っ!」と興奮状態になって、サーフィンってすごい気持ちいいなと、さらにのめり込んだ瞬間でした。そして、中学2年になるとハルカという地元のビッグウェイブのポイントに入れてもらえたんです。「お前、サンセットでライドできたんだから一緒に沖へ来て見てろ」と親父にいわれてついていきました。その時にも1本いい波に乗れたんですよね。その日はピークで10フィートくらいはあったかな。僕の波はそのなかでも小さめのサイズでしたけどね。

【次のページ】いよいよ大きな波の醍醐味に迫る…!

小波はそれほど良くない僕の地元では、
みんなリーフで始め、終えるんです。

小山内:和歌山の人たちは大きな波が好きという印象があるよね。

堀口:そういう波が多いんですよね。小さい胸以下の波はあんまり良くないコンディション。みんなリーフで始めて、リーフで終わる。存在としてアンダーグラウンドですよね。プロサーファーが多いわけではなく、でもサーファーはいるという土地柄です。

小山内:仕事は何をしているの?

堀口:漁業と土木の関係者が多いですね。漁師、漁協で働いている人、港で働いている人、飲食関係、夜関係。

小山内:真平の地元の串本町には、シークレットだけれど良い波があるとよく聞くよね。

堀口:やばいポイントはいっぱいあります。これから挑戦してみたいところも5つほどあって、パドルからのテイクオフ程度で終わっているところが3つほど。親父がハルカを追い求めてきたように、僕ももっと地元の波を探求したいと思っているんです。一方で、僕の地元には湘南のようなオープンビーチがないんですよ。家の近くのビーチはとても狭くて、そこにいるサーファーは全員顔見知り。そういう環境だから、どうしても雰囲気はオープンではなくなってしまうんです。たとえば波の大きな、僕らでも危険を感じる日に知らない顔を見かけたら「大丈夫ですか?」と話しかけます。僕としては、その人のレベルに合った波で、安全に楽しんで帰ってもらいたいですからね。ただ和歌山は、僕らでも挑戦するような波も来るという場所なんです。

小山内:和歌山という場所で生まれ、お父さんの背中を見て育ったから、真平のサーフィンにはビッグウェイブが含まれる、という感じなのかな。

堀口:パイプラインの前で育ったから、ジョンジョンにとってはパイプをサーフするのが普通という、そんな感覚なんでしょうね。湘南のようなビーチブレイクではなくて、リーフブレイクが日常の場所だから、僕のような趣向性を持つサーファーが育つということなんだと思います。

一番好きなのはでっかいチューブ、

その最たるものがパイプラインです。

小山内:改めて、大きな波の醍醐味って何だろう。

堀口:大きな波に対して、限界まで自分をどれだけプッシュできるのか。プッシュする気があるのか。その心の持ち方というか、スタイルでしょうか。

小山内:この冬にビビった時はあった?

堀口:いちどオフザウォールで死にそうになりました。10フィートくらいあった誰も入っていない時に数人でパドルアウトして、がっつり波の真下で喰らったんです。背骨が折れたような痛みがあって、リーシュは切れたからサーフボードはない。しかも波は次から次へ入ってきている。背中が痛いから泳げないし、息は上がっているしで、もう溺れそうでした。波を喰らいながらもどうにかカレントに乗って沖へ出たんですけどね。決してナメてはいなかったんですけれど、悪い状況というのはふとした時に起こって、そこに自分がハマってしまうことがあるんです。ほんとうに怖かったですよ。

小山内:逆に最高の波は?

堀口:最後の最後で何発も最高のバックドアに乗れたことですね。パイプも1本いいのが乗れました。

小山内:今、一番好きな波というのは?

堀口:でっかいチューブです。サーフィンのより本質に近い波だと思います。オフショアで、パワーがあって、巻いてくる波。その最たるものがパイプラインですね。

photo by U-SKE @SOMEWHERE IN JAPAN

小山内:誰もが行けるわけではないピークの状況を教えてくれる?

堀口:神社みたいな感じです。シーンとしているなかで、遠くから波がやって来る。そこにあるのは波対自分という世界観で、自然と一体化しているような気持ちになるんです。むしろ、そうならないといけない環境ですね。失敗したら大ケガをする。失敗できないし、そのためには、自分の心を海に対して解放させることが重要なんです。嘘はつけない。自分の持っている力だけで波に乗るわけですから。できることしかできないんです。だから、自分を知り、自然を分かることが重要。そして、その人のレベルでおこなった両者への理解を持って、さらに限界へ挑む瞬間がテイクオフ。僕はパイプラインのことをパイプライン神社と思っているんですよ。それくらい聖なる場所だと思うんです、パイプラインは。

【次のページ】堀口真平が考える海、サーフィンの魅力

波の取り合いはストレス。
どう波を取るのか、姿勢が大切。

小山内:パイプラインはいつも混雑しているよね。自分対波という状況に集中し続けるのは難しくないのかな?

堀口:この冬、悟ったことがあるんです。ある日、エフカイビーチの方でずっと浮いていたんですが、ラインナップしているサーファー、うねりの入り方、波の種類、全部見えたんですよね。僕はパイプラインに乗りたいためだけにパイプラインにいたんです。でも、たとえ波に乗れたとしても精神的に満たされない時があった。なんかギスギスしていたんですが、その理由が分かったんです。僕のまわりにはローカルのコミュニティがある。僕と同じようなビジターがいる。そこへうねりが入ってくる。みんなパイプラインの波に乗りたいわけです。だから取り合う。そして、波を取ることができたらハッピーだと思っていた。でも違うんです。取り合うことは、やはりストレスだったんです。僕がパイプラインにいる目的はあくまで楽しむこと。そのためには、波、コミュニティ、サーファー、すべてを正面から見つめて自分の行動を考えないとならない。エフカイで待っていた時も、たまに波が外れて僕のところへ来るんです。誰もいないからノー・ストレス。まさに波対自分の状況で、これこそが僕の求めている状況だと、改めて気づかされた瞬間でした。

小山内:具体的にはどう行動が変わっていくと思う?

堀口:たとえば朝イチの真っ暗な時から自分だけ最初に入るとします。すると僕に1本目の優先権はありますよね。けれど2本目以降、誰かがパドルアウトしてきたら、次の波はそのサーファーに優先権がある。ローカルがいたら優先権はその人へ。僕は彼らが乗っていくのを待つ。そういう関係性を周囲のサーファーと築くことができたら、かつ、僕がしっかりサーフできる奴だと認めてくれていたら、僕のところに波が入った時に彼らは僕に乗せてくれるんです。「ゴーッ!」とさえいってくれる。そこがハワイの良い所なんです。

サーフィン、海や自然の良さはもっと

社会に認められていいと、僕は思う。

小山内:ハワイには成熟したローカルとビジターの関係性がある。日本はどう?

堀口:ハワイが紳士だとしたら日本のサーファーは威嚇するというか、そういう心の人たちが多いように思います。僕の親父くらいになって、サーファーの意識レベルとしては好青年でしょうか。誰が波を取っても気持ち良くないのでは、環境として正しい在り方ではないですよね。ドロップインされたからムカツクというレベルではなく、もっと根本的に意識を変えていく方がサーフィンを楽しめると思います。もちろんドロップインはルール違反ですけどね(笑)

小山内:日本のサーファーの意識レベルは低い?

堀口:ビッグウェイブのサーフィンが認められていない状況もそう。僕自身、大きな波でサーフすることは気持ちいいですが、世間に認められないとプロサーファーとしてはつまらない。自己満足で終わってしまいますからね。

小山内:ハードコアなサーファーへの理解度は?

堀口:低いというより、ないに等しいです。「危ないのに何やってんの?」とか「私には理解できません」みたいな。命をかけているのにギャランティも少ない。野球選手くらいもらってもいいと思うんですよ。でももらえないのは、日本でのサーフィンが野球ほどに認められていない。ただそれだけです。まぁ、確かに評価なんてどうでもいいやと、自己満足でいいじゃないかと、そう思うこともあるんですけど、それって寂しいんですよね。だから、僕は日本のサーフィンがもっと評価されるような動きもしていきたい。仲間とやっている海の学校もそのひとつ。子供たちにサーフィンを教えていたりするんですが、ボランティアを含めて集っているメンバーは、コンペとか関係なく、海が好きで、海の気持ち良さを共有したいと感じている人たち。僕と同じ気持ちを持っているんです。

小山内:そういえば昨年はサーフィンミュージアムをつくったよね(※注釈/2012年は伊勢・国府の浜の玄関口となる近鉄志摩線の鵜方駅近くに設けた)。

堀口:伝えることが大切だと思っているんです。サーフィンとは何か。ビッグウェイブとは何か。サーフィンの何が気持ち良いのかを表現して伝えていきたいし、社会的な認知度をもっと高めていきたい。ONLY A SURFER KNOWS THE FEELINGEVERYBODY KNOWSにしていきたい。何より海に入ると細胞が喜ぶといった、サーフィン自体に人をポジティブにさせる力がありますからね。もっともっと多くの人にサーフィンや海を楽しんでもらいたいし、サーファー、そして海や自然の大切さが認められる社会にしていきたいです。

photo by U-SKE @PIPELINE,HAWAII

<ゲストスピーカー>

堀口真平 ( ほりぐちしんぺい )

1982年8月25日生まれ。和歌山県串本町出身。ビッグウェイバーでありシェイパーでもある父親と幼少期から行動をともにする。そのため冬のハワイ歴は実年齢と同じく31年。ハワイのローカル・コミュニティとも親しい間柄にある。またオアフ島のビッグウェイブスポット、ワイメアの初ドロップはわずか15歳で経験した。プロサーファーとしての最たる特徴は、良い波のところに身を置く行動スタイル。ハワイ、インドネシア、タヒチ、日本と自然のサイクルと呼吸を合わせるように地球上を駆け巡る。

SPONSOR LINK

BLUER SELECTOnline Shopping