登山家に「なぜ山に登るのか」と聞けば「そこに山があるから」と答えるのは、ある種の”愚問の極み”として有名なフレーズである。
それはサーファーにも言えて、「なぜ波に乗るのか」と聞けば「そこに波があるから」と答えるのである。
それはすなわち、その魅力に取りつかれた人にとっては、そこに理由などない、という意味である。
山に登ったり、波に乗って、カラダでココロでその喜びや素晴しさを知った人、つまり、そんな震えるほどの「感動体験」をした人にしか、けっしてわからない領域なのである。
とかく登山家はそうは見られないが、サーフィンというのは「音楽」や「アート」といった文化面(それはよく”サーフカルチャー”とも言われるが)とも結びついていることもあり、表層的なファッションに見られがちである。
実際にそういう華やかさが、ひとつの側面でもあるのだが、サーフィンは登山と同じで、究極的に”自然と対峙すること”であり、極めて”精神的”かつ”哲学的”な世界に通じている。
ずっと「波」に向き合っている人であればあるほど、いつまでも答えの無い、途方もない「波への探求」をし続けるのである。
そして今日も、明日も、そこに波がある限り、波を求めて旅に出る。
またキミは行ってしまう。
その家族は、ひたすら安全に帰りを待つしかない。
1st. Photo by Derek Key
2nd. Photo by Aaron Guy Leroux
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