FINにこめる想い
このフィンの制作者の波田野さんは昨年、亡くなった。
2018年3月21日にいきなりメッセンジャーに連絡がきて「肺に水がたまり苦しく呼吸ができない状態だから入院することになり、しばらくの間は面会もできないのでご理解いただきたく元気に帰ってくるので」というメッセージだった。
わたしは入院から確かに帰って来るとしか思わずにいたら、知人から波田野さんが亡くなっていたことを告げられた。
最後の私へのメッセンジャーは2018年3月24日。
おそらくその後に苦しみは続き、しかしひっそりと死んでいった。遺族の娘さんが密葬をされ身近な知人もしばらく知らされなかった。
波田野さんの死が理解できぬまま時間だけが経過してしまった。ただ、今になりようやく自覚できるようになった。
私のもとにある、波田野さんとの試作品や撮影用のミニフィン、未発表作品たち。
ずっと手元においておこうか、と思ったが、当時から購入くださった方や、愛ある方に、残りを手にしていただき、ともに、サーフィンのクラフトマンシップを共有しようと思いたった。
ずっとこだわっていたクラフトマンの肩書。-職人-
スティーマーレーン、ダキャット、、60年代からの代表的フィンのリアルな歴史的フォルム。
日本には多くの名シェイパーがいらっしゃるが、波田野さんはサーフボードの傷をリペアすることに注力されていた。致命的な傷ほど難しく、これは駄目だろうと思うボードを波田野さんのもとに助けをもとめるサーファーが多くいた。
そして同時にリペアから滴り落ちる樹脂で作るアート作品作りを楽しんでおられた。
ミニフィンは、おそらく、作ろうと思えば作れるシェイパーはいらっしゃるのだろうとは思う。
しかし波田野さんの言葉を借りれば、ここまでシングルフィンボードの当時の名作を忠実に、また細かく作業するなど効率が悪いのだという。
遊び心。
超おたくな少年の心のままの波田野さんだからこそできる仕事だった。
FINを究極的に小さく、忠実にフォイルすることのできるクラフトマンはおそらくほぼ存在せず、サーフィンやサーフボードのギアの歴史や機能性を熟知していた日本随一のミニフィンのクラフトマンといえる人。
サーフボードのフィンは常時、持ち歩けることはできないが、これはいつもそばにいる小さな“リアルサーフスピリッツ”。
40年以上も従事され、この遊び心とサーフィンを愛するスピリッツを教えていただいたことに、深く感謝いたします。
H.Pamun Hatano
Rest in Peace.
※サインにあるPamun(パムン)とは、博文という本名の韓国語読みであり、知人にそう読んでもらって以来、自身をその発音でPamunと称し屋号とするようになったと聞いています。
残された試作品やサンプル品の貴重なミニフィンを愛ある皆様に手に取っていただき、サーフィンのクラフトマンシップを共有させていただこうと思います。数少ない作品ですので抽選販売とさせていただきます。
⇒ご希望の方は、是非ご応募ください
BLUER代表
Words by Naoko BLUER Tanaka