Professionals
ふたりのプロサーファー

Text &Photos by Naoko Tanaka
Riding photo by Naoya Kimoto

歴史を作り、その歴史を引き継ぐ、ふたりの女性プロサーファーがいる。谷口絵里菜と水野亜彩子である。

本来、プロスポーツ選手やアスリートは日本や世界で勝負をし、試合に勝てなくなれば引退の時がやってくる。勝てなくなれば選手としての価値を失い、その後は生活のためにも後続の育成や関連企業に就職するか、まったく別の職業に転職するのが常となる。

プロサーファーも同様、勝負期を経ていつかは潮時を迎えるが、他のスポーツと違うのは、生活のサイクルに完全にサーフィンが溶け込んでいるため、それが短期的な「職業」や「行動」とならず、一生涯において「日常の行為」となる点だ。

つまり「勝敗」というたった1点を除けば、このスポーツは選手にとって潮時を迎えることがない。サーファーは一度、その魔力を知ったならばサーフィンをしつづける生活を送ることが多く、プロの資格を保有しているプロサーファーなら一層、公な立場で濃密な人生を海に向けることとなる。

よく「プロサーファー」という言葉がメディアで取り上げられるが、プロフェッショナルなスポーツ選手、ということ以外に、何か特別なニュアンスを汲み取ることがあるとすれば、それはプロサーファーがプロフェッショナルなサーファーという“ビジネス価値”とは別に、海と向き合う「生き方」そのものを含んでいるからである。つまりプロサーファーは、サーフィンというライフスタイルを持った肩書きであり、人生そのもの、とも言えるのだ。

谷口絵里菜というプロサーファーがいる。

四国の高知・生見海岸に生まれ、過去も現在も、この地を愛し生活拠点としながらトップサーファーとして各地を転戦する35歳のベテラン女性サーファー、そして日本のウィメンズのプロサーフィン界を支える人物でもある。

日本において、女性のサーフィンが競技となってからは30年という年月が経過する。そもそも戦中戦後の日本にアメリカ兵によって日本に伝えられたとされる遊びから始まり、サーフィンが日本で競技がはじまって約50年、半世紀の時が経過する。その間に数度のサーフィンブームが到来しているが、1980年代〜90年代にスポーツビジネスとして活性化したこの時期が、加速度的にカルチャーが成熟してきた時期でもあった。

21歳でプロに合格した1999年から既に15年もの間、谷口は女性サーフィンのトップシーンで活躍し続けている。プロフェッショナルとしての15年の月日は、並大抵の努力や能力で継続できるはずもなく、そのたゆまぬプロ精神と日々のスキルアップがあってこそ、現在に至ることは言うまでもない。

またサーフィンは相当な体力を要するスポーツ。自然が生み出す波のパワー、サイズやコンディションによっては、女性の体力では太刀打ちできないものでもある。だから女性プロサーファーという存在は、他のいかなるスポーツよりも危険がつきまとい、体力も精神力もタフでなければならないのである。この写真を見れば想像に難くないだろう。

水野亜彩子というサーファーがいる。

東京に生まれ、わずか15歳でプロに合格。現在21歳となり国内ランキングでは常にトップ入る成長をみせる、日本を代表するウィメンズのホープである。世代的には1980年代〜90年代のサーフィンブーム時代に青春を過ごしたジュニア世代である。

水野も英才教育を受けて育ったと思いきや、実はそうではない。水野は親からではなく自発的なパッションよってサーフィンを始めて自己努力を積み重ね、15歳でプロ資格を獲得。生まれた地理環境や教育に左右されない女性サーファーというのも、ある種珍しい存在でもある。

そんな水野の世代は今、世界に互角に戦える可能性を秘めた環境下にあり、若手サーファーが多く生まれてきている実情がある。そもそも米豪圏のサーフィンビジネスに追随してきた日本のサーフィンマーケットは、日本の大企業が入りこみづらい土壌を持って今に至る。それは野球やゴルフのような大金が動く市場ではないことも意味する。海外からもたらされたサーフィンが80年代〜90年代に開花、しかし昨今では国内のブームは去り、表層的なものは淘汰されファッションではなく、本物だけが残っている日本のサーフ市場は、いまや世界の同一マーケッティングの時代にいる。ポジティブに捉えると、日本の若手サーファーはグローバルの流れの中に身をおく通気性が出てきたことで、世界と互角に戦える環境が作られ始めたことになる。

チャンスが拡大しているこの環境で、水野は親から譲り受けたDNAではなく、自ら扉を見つけ進み始めたサーファー。今や世界にも照準をあわせ、国内サーキットのみならず海外の試合にチャレンジを重ねている。水野の高い能力は言うまでもないが、おそらく30年前の黎明期から谷口までの同世代であったならば、15歳という低年齢でのプロ合格はなし得なかった。そこには、女性サーファーたちが開拓してきた歴史とマーケット環境の変化、プロサーフィンの成熟があったからこそ、つかみ得たものでもあるはずだ。

谷口絵里菜、そして水野亜彩子はチームメイトの関係にある。サーファーにとって無くてはならない存在”サーフボードをサポートしつづけているハワイの老舗サーフボードブランド「HIC」がふたりを結びつけた。

谷口にとっての水野は、一回り以上も年の離れた後輩であり、水野にとっては、自身がわずか6歳の時には既にプロサーファーになっていた大先輩である。姉御気質の谷口にとって、自身の選手としての使命を果たす一方で、若手たちにレールを敷きながら助言し、水野はそれに答えている。

谷口は野性味と知性的な判断を持ち、水野はわずか21歳という若さだがプロとして勝つための飽くなき精神のみならず、知的な判断力をも持ち合わせているようにも見える。HICが主催する女性サーファーのためのサーフィンスクール「HICガールズサーフキャンプ」でふたりのプロからレクチャーを受ければ、その的確なアドバイスと何でも受け止める度量を感じることができるはずだ。それこそ谷口の、いわばHICのDNAが流れているのだ。

プロサーファーという生き方。

それは海と向き合う生き方そのものである。ともすれば女性ということに特別視するのはナンセンスと言われるかもしれない。しかし「女性」が人生をかけてサーフィンと向き合っている姿は、あまりにストイックでもあり希有な生き方といえる。 ここ日本においてはおそらく、世界的な選手が誕生するその日まで、マスメディアで女性プロサーファーが登場することはないだろう。しかし、谷口絵里菜と水野亜彩子という生き方と挑戦が、今もなお続いていること知ってほしいと思う。

歴史を作り、その歴史を引き継ぐ、女性プロサーファー。ふたりが新しい女性像となり、サーフィン界の未来を担っていくための重要な歴史の過程にあることは、間違いのない事実なのである。

取材協力:HIC JAPAN
Terrestrical Inc 岡田貴子


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